ロベルトの半生~嘘つき小僧がバカ正直な大人になるまで~2
私のお母ちゃんはね。
マジで半端無く料理が旨かったんですよ。
私が小学生の頃に個人で居酒屋なんてやってた程でした。
親父が中々グルメだったのもあって家族で食べるご飯はいつも割りと力の入ったものが多かったような気が。
ピザとかうどんとかも生地から作ったりしてたなあ。
床に置いて使うようなめっちゃでかい台と麺棒とかあったのも覚えてます。
ただやっぱりいつも子供が好きそうなものばかり作っていた訳じゃなく、
普段から野菜や魚系の料理なんかも良く出てました。
子供っぽくない料理でも幼少期の私自身は嫌いという事は無かったんですけど。
やれ焼き魚は綺麗に食べろ~とか、
やれお箸の持ち方が~とか、
そんな小言がよく聞こえる食卓ではありました。
そんな厳しくも暖かい(?)食卓にロベルト少年の天敵が現れました。
ブロッコリーですよ。
何ですかあれ。
あんなもん小さい木を丸ごと食うようなものじゃないですか。
ちょっと試しに外に生えてる木の皮食ってみてください多分同じ味ですよ。
最近の話だが某ネット掲示板でこんな書き込みを見た。
「凝縮した森じゃん」
正にその通りだ。
凝縮された大自然の塊は幼きロベルトには荷が重すぎた。
メインの料理の横に鎮座する自然。
その存在感は私に「いただきます」の言葉を口ごもらせる程だった。
ただ私はこのブロッコリーという野菜。
全く食べられないという訳ではなかった。
頑張ったら食べられる。
だからいつも、ブロッコリーが出た時は好きなものを先に食べて最後に大自然と格闘するのが基本になっていた。
度重なるブロッコリーの襲来に辟易した私はついに母に訴えた。
「ブロッコリー嫌い」
ふと出てしまったこの一言によってまた親父ビンタが炸裂するかと思ったらそれより先にまさかの母からの即答が炸裂した。
「じゃあ好きになるまで毎日出すね!」
私は学んだ。
これが墓穴を掘るという事だと。
何故か親父ビンタは幸いな事に発動されませんでした。
ただここからお母ちゃんね。
本当に毎日ブロッコリー出すんですよ。
料理に混ざってたり茹でただけだったり。
ヤバいこのままじゃ私自身がブロッコリーになってしまう、と思って手を止めてたら
お母ちゃんがブロッコリー箸で持って「ロベちゃんのお口に入りた~い」なんてあ~んしてくるんですよ。
まあそれされちゃうと何故か食べちゃってたんですけど。
こうして日々緑化に悩まされるこの状況を打破しようと私は勇気を振り絞って母に伝えた。
「お母ちゃん僕ブロッコリー好きになったよ!」
嫌いと言ったから毎日出されるようになったのだ。
じゃあ好きになったと言えばいい。
子供ながら上手い嘘を考えたついたもんだと思う。
その言葉に母は笑顔で答えた。
「好きなら毎日出してあげるね!」
こうして私は更に学んだ。
これも墓穴を掘るという事なのだと。
こんな食育の仕方は大人になってからも聞いた事なんて一切無いですね!
好き嫌いを言った時点で親父ビンタをされなかったのは元々お母ちゃんがこのやり方でいこうって親父と前以て決めてたんじゃないかな。
それはもうとてもスムーズに進むコントのようでした。
余談ではありますが、
先日ちょっとお洒落なバルでアヒージョでも食いながらビールを飲もうと思いましてね。
海老のアヒージョと生ジョッキを注文しました。
そしてやってきましたアヒージョ案の定入ってるよねブロッコリー。
ただもう大人ですからね。
オリーブオイルとニンニク、ブラックペッパー等の食欲を促すような香りをふんだんに重ね纏ったブロッコリーを肴にビールを二杯程呷ってやってここで決め台詞です。
「すみませーんアヒージョブロッコリーだけ御代わり出来ます?」
母の食育大成功私は今ほぼ毎日ブロッコリー食べてます。
ちょっと効きすぎな気もするけど。
多分木の皮も食べられるようになってるんじゃないかな。
それは無いか。